一生懸命より
「一生懸命頑張りなさい」 私たちはそう言われ続けて育っています。 一生懸命やっていると褒められます。 嬉しいので、もっともっと頑張ります。 そして、
いつしか「イヤダ」と言えなくなります。
「一生懸命」と「好きなこと」が一致しているときはいいのですが、 「嫌いなこと」を目の前にしたとき、「一生懸命」がいつのまにか 「褒められるための」道具になるときがあります。
そこで置いてきぼりになるのが「自分の感じ方」です。
「イヤダ」自体が悪いわけではなく、「イヤダ」をどうするかと考え始めたときに 「自分」を見つけるチャンスがあるのです。
「イヤダ」は「自分を知るチャンス」
「イヤダ」から逃げるのも 「一生懸命」を盾にして「自分」から逃げるのも 実は同じことなのではないでしょうか。
子どもが眼を背けたとき、「眼を背けた」という事実だけを見るのではなく 「どうして」背けているのかを、それこそ「一生懸命」考えたいと思っています。
まずは、嫌なものを「イヤダ」と言える子どもであってほしい。 そこから一緒に考えていきたいのです。
そして 「一生懸命」よりは「夢中」になれる種を たくさん見つけてほしいと思っています。